編集 神商11回 樋口恒次郎
一、三神同好会について
第三神港(神戸商業の前身)のバレーボールOB会の名称です。
戦前のバレーボール界で、この名前が大活躍しました。
全国バレー界でどの位の地位にあったのか、大日本排球協会機関誌『排球』昭和9年第12号に載せられた「昭和8年度男子一般の私製ランキング」表があります。選者は赤石 弼氏(慶応大学初代キャプテン)
昭和8年度男子一般 十傑 | |||||
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1 | オール呉工廠 | 2 | 廣島二中クラブ | 3 | 東京帝大 |
4 | 神戸高商 | 5 | 早稲田大 | 6 | 日体大 |
7 | 大阪外語 | 8 | 三神同好会 | 9 | 京都帝大 |
10 | 八高 |
二、名選手 故打越義一氏について
尤も印象に残る選手を一人紹介いたします。打越さん(神商6回1933年卒)は戦前日本一の名クイッカーと言われ、極東オリンピック代表として活躍しました。
昭和9年第10回マニラ大会 日本代表チームメンバー 次のとおり。
前衛 : 打越義一(三神同好会)佐藤賢吉(大阪外語)谷山峻(呉工廠)佐野太一
中衛 : 長崎重芳(廣島二中ク)土田弘(呉工廠)坂上光夫(浜田高女教員)大橋太郎
後衛 : 野呂正文(日体大)温井政記(廣島専売局)赤城功(早大)上野千秋
後年全日本代表チームに選ばれ打越さんとコンビを組んだ、京都一中・神戸高商出身の岸本貞二郎氏は打越さんについて下記のように語っています。
岸本氏は神戸高商在学中、編集者樋口の2年先輩で、昭和13年に樋口BC,岸本さんFLでしごいてもらいました。
記
『当時全日本代表選手を東軍と西軍に分け東西対抗戦が行われていた。昭和14年は西軍(監督鎔氏、主将打越義一)前衛はFR打越、FC岸本、FL上野(広島高)で、ゲーム後半には川田(関学)をFCに起用、僕(岸本)がHC兼FC2、で前衛4人制を試みる。日本で四人制実施はこのときが最初です。
六人制で盛んに使われているAクイックと言うのか、Bクイックというのか、クイックの元祖と言える打越さんと僕(岸本)とのコンビによる目の覚めるような クイック、クイックと言うプレーは高いパスでは使えない、少なくともトサーの胸のあたりに来たパスでないと使えない。トサーがボールを受ける時にはクイッ クをやるアタッカーはもう飛んでなければならないから、トサーが飛び上がらないと届かないようなボールでは使えない。だからこの打越さんの名プレーは何度 も使えなかったが、使えた時にはその鮮やかさに、全観衆がどよめいたものです。
今でこそクイックの出来る人は沢山いますが、この頃は打越さん以外は本格的なクイックの出来る人はいなかったと思います。どうでしょう。戦前では打越さん。戦後では日野とコンビで長岡が九人制時代の代表的な名クイッカーではないかと思います。』
(神戸高商・神戸商大バレーボール部部誌 岸本氏談より)
□ 日本西軍監督鎔氏。
第三神港バレー部は、昭和3年創設2年目の夏休みに、当時神戸高商在学中の鎔氏に指導を受ける。
三、第三神港バレーボール部誕生
話は変わりますが六甲アイランド高校の東門側から3号館の玄関を入ると、そこに神戸商業(第三神港)の校歌と赤塚山高校の校歌がそれぞれ銅版に刻まれて飾られております。作者をご存知でしょうか。神商校歌の作詞者は鹿島信之介氏〔三回生〕です。
実はこの鹿島信之介さんが、又第三神港バレーボール部の創設者なのです。
(昭和3年)
昭和3年4月(1928年)に創設、当時4年生創設者鹿島以下9名と数名の下級生を加えて、10余名の部員でスタート。学校は今のJR元町駅北側の市街地の真ん中にあり、運動場と言うより街中の空き地という感じであった。バレーボール一面、テニスコート一面の他に、鉄棒と砂場があるだけの貧しいものであった。
部員一同ルールも知らず、ましてや基本パスの要領もまるで判らない。突き指する者続出し、其の上校庭はアスファルトで、転ぶと擦り傷の絶えることがなかっ た。体育担任の阿部先生に指導をお願いしてもバレー担任ではないので困り、隣接の神戸小学校の教員に教わったりしていたが、技術的にはまるで幼稚なもので あった。それでも指先は割れ、出血しながら誰一人として泣き言を言わず、黙々とパスの練習をしてきたのは、一体何のためなのか自分自身が判らなくなってしまうことがあった。
他校に練習試合を頼んでも相手にされず、それでも毎日練習を重ねた。
神戸高商(現神戸大学)主催、第3回全国中等学校排球大会(昭和3年6月)
1回戦 龍野中学 2 - 0 第三神港。
出場して完敗したが、他校のプレーやレベルをこの機会に参考になればと、全員大会終了まで熱心に観戦した。
翌日の練習から大会で得たパス、トス、キルと真似てはみるが、なかなか思うように出来ないが、何か少しずつ身体にバレーが染み込んで行くような気がして。練習にも熱がはいっていったのである。(鹿島)
(昭和4年)
『昭和4年4月 兵庫県中等学校排球連盟 結成される。
リーグ方式で試合が行われるようになり、連日の練習も次第に実りあるものになってきた。
○ 昭和4年兵庫県連盟リーグの順位
1位 県商、 2位 龍野中、 3位 第三神港、 4位 神戸一中 5位 姫路中
この夏期休暇中、神戸高商の名バック鎔氏に指導受ける機会に恵まれ、バレー精神と情熱をしっかりと叩き込んでもらい、大きな成果を上げることが出来た。
○ 神戸商大主催 第4回全国中等学校排球大会成績
(S4.9.22~23) 参加校 23校
準決勝 : 廣島二中 3 - 0 池田師範
香川師範 3 - 1 第三神港
決勝 : 廣島二中 3 - 0 香川師範
本大会では時間差攻撃等で、HC 堀 角夫(4年故人)を中心に準決勝まで進出するまでになった。
(鹿島)
*** 続く来月 ***