六愛会モニュメントの由来

六愛会モニュメントの由来

明治45年4月開校の神戸市立高等女学校を源流とする神戸市立赤塚山高等学校の同窓会「清流会」と、大正12年4月開校の神戸市立第三神港商業学校を源流とする神戸市立神戸商業高等学校の同窓会「龍神会」は、平成12年8月に両者統合の総会を行い「六甲アイランド高等学校同窓会」として発足した。

平成10年4月に両校の歴史を受け継ぐ神戸市立六甲アイランド高等学校が一期生400人を迎え、「清流会」と「龍神会」のモニュメントも引き継がれた。

六愛会モニュメントの由来「清流」の石碑は神戸市立高等女学校創立70周年を記念して昭和57年11月に建てられた。「清流」の文字は神戸市立第一高等女学校の教師でもあった、戦後日本書道会を牽引した日展理事の桑田笹舟先生が書かれたものである。

六愛会モニュメントの由来「龍神ヶ丘」の石碑は、神戸市立第三神港商業学校が幾度かの校地、校名の変遷を経て昭和8年に灘区徳井に移ってのち学舎の地を「龍神ヶ丘」と称した。以来龍神ヶ丘は校歌に込めて連綿と受け継がれてきて、同窓会も「龍神会」と称し大きく発展を遂げてきた。

平成元年、西岡本の校舎と「龍神ヶ丘」の名をつなぐため、当時の先生方、同窓会が新たに学校の庭園を「龍神ヶ丘」と定めて建てた石碑である。

六愛会モニュメントの由来「楠公母子像」は、神戸市立高等女学校の歴史を受け継いだ神戸市立第一高等女学校の母校校庭に残されていた。昭和11年2月に校舎新設記念事業の一つとして、当時の教職員、在校生、卒業生、保護者の協力により寄贈されたもので、長らく女子教育の鑑として顕彰されていた。しかし終戦後は校舎の移転に伴い像は残されたままになっていた。

平成13年に有志の発案で関係の深い卒業生たちの間で移設のための募金活動を行い、集められた浄財と清流会からの協力を得て移設され、ここに歴史の一頁が繋がったのである。

六愛会モニュメントの由来「慎其獨」の石碑は、赤塚山高等学校から移設された。孔子の弟子である曾子によって書かれたと言われる『大学』の「故君子必慎其獨也」(ゆえに君子は必ずその一人を慎むなり)の一節である。人格者は必ず一人のときを慎んでいるとの意味である。学校教育が人格の陶冶を目的になされるものであることに思いを馳せると、この石碑に刻まれた言葉の重みがひしひしと伝わってくる。

六愛会モニュメントの由来「清流会」「龍神会」両同窓会が互いに手を携えて円満に統合し、現在の六甲アイランド高等学校の同窓会(六愛会)が発足した。多くの同窓生の母校となった六甲アイランド高等学校は長い歴史と誇りを受け継いでいる。母校の発展を願っている多くの同窓生の温かい眼差しが在校生の皆さんに注がれていることを思い、自分が歴史の繋がりの中の一人であることを忘れないでほしい。ここに建てられているモニュメントが、皆さんが母校を思うよすがになることを願っている。

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