六甲アイランド高校 同窓会「六愛会」みんなの広場「同期会・クラス会」

同期会・クラス会

同窓会の皆様から同期会・クラス会のご案内・ご報告が届いています。
同期会・クラス会のご紹介、ご案内情報は随時募集中です!このページで紹介をご希望される方は六愛会事務局まで是非ご連絡ください!

赤塚山高校 昭和49年卒業生同窓会

赤塚山高校5回生同窓会事務局

一昨年2月に|ま赤塚山高校卒業以来、初めての全体同窓会を大阪にて開催しました。
その際には90名近い同窓生の方々(二次会を含めると100名以上)にご参加いただき、 旧交を温め盛況な同窓会となりました。
次回は5年後に開催ということで再会を約して閉会となりました。しかしその後に前回惜 しくも参加できなかった方々を初め多くの方より早期に開催を望む声が寄せられました。
その結果、今年の2月に第2回同窓会を開催する運びとなりました。
それぞれにお忙しい時期と存じますが、皆様お誘い合わせの上、是非ともご参加ください ますようお願い申し上げます。
詳しくは以下の画像をクリックすると開いてくるPDFファイルをご参照ください。

神商26回生 同期会

18.01.12

神商33回生同期会

33回生 世話係 E組F組

平成25年11月20日(水)午後1時半より4時半まで 神戸東急インにて、神商33回生同期会を開催いたしました。
66名の参加でした。卒業して既に半世紀以上経ちましたが、 若き日の思い出に花を咲かせ、近況を語り合って楽しい一日を過ごしました。

神商26回生 同期会

16.07.06

神商26回生 同期会

神商26回生 吉田 博

平成17年12月12日(月曜)、神商26回生が集いました。
卒業後半世紀余りを数え、各人古希を過ぎましたが、皆、学生の頃の面影を残しており、楽しいひと時でした。

想えば昭和28年、不況で就職難の中130名が卒業しましたが、残念ながら既に23名の方が、物故者となられておりました。

しかし、当日は寒い中37名が、三宮の東急インに集い、賑やかに若かりし頃の話や最近の体調の事、孫の事、夫婦の事等々、話題が尽きることなく、時間が経つのも忘れ、アッという間の一日でした。

近い将来の再開を楽しみに、次回も全員元気で会おうと誓い合いました。

神商26回生 同期会

06.01.17

2005年トッパくらぶ(神商18回生)総会

神商18回生 佐々木 豊繁

平成17年6月12日、ポートピアホテル29階中華レストラン「聚景園」で、来年2月16日開港の神戸空港を眺めながら、久しぶりに出席した時井 昭氏、岩城 昭氏、斉藤 定正氏の3名を迎え、総勢22名で盛大に開催した。

位田 昭二郎氏の名司会により、冒頭昨年度他界された三好 繁人氏、井上 秀治氏、桝田 昭二氏のご冥福を祈り、黙祷を捧げた。森田 五郎幹事代表の挨拶 と、60年前の世相を記した年代表を配り、当時の戦災・終戦に思いを馳せ、又、岡本 広正氏が持参した「灘商業学校報国団名簿」(昭和17年5月5日現 在)を回覧し、しばし平成17年から昭和17年(当時3年生)にタイムスリップした。戦災で多くの方は転居されたが、昔懐かしい住所に同期250名の顔を 思い浮かべ、部活、諸先生の話題を提供した。宴会も「第二の人生」へと未来志向で、お互い米寿にむかい身の上話に花を咲かせた。

そして、今回病気療養中の安田 正孝氏により寄贈いただいたタイガースグッズの景品を、あみだくじで全員に分配しました。厚くお礼申し上げます。

宴たけなわの中‘六甲の連峰のもと~人の中の人つくらんと’を合唱しながら、又来年の再開を誓って散会した。

出席者
岩長 一雄・河合 清・林 昌弘・森田 五郎・山口 和宏・位田 昭二郎
嶋谷 昇・夜久 博通・板倉 義和・喜田 惣一郎・佐々木 豊繁
阿黒 光雄・大久保 孝司・岩城 昭・広瀬 雄次・岡本 広正・餅田 裕秀
斉藤 定正・清水 和雄・服部 敬次・時井 昭・奥平 正利 (順不同)

2005年トッパくらぶ(神商18回生)総会

東京トッパくらぶ

神商18回生 松原 好角

平成16年12月7日(火)東京新橋駅前「古今亭」に於ける東京トッパくらぶも、今回で昭和51年より連続29回の開催となり、本年度は新幹事の南波さんのご尽力により、11名中7名が参加。昭和2年生まれのトッパくらぶも、日本の男子平均寿命と同じ77歳となり、喜寿と昭和20年卒業60周年還暦の祝宴を開催した。

3時間に渡る談笑の後、いつも通り、藤森さんの音頭で校歌斉唱、全員高らかに歌って、来年の再開を約し散会しました。

出席者
南波 利昭・田村 博・松原 好角。来田 勉・藤森 久一郎
近藤 敏明・尾地 和男(順不同)

私の学生時代(若さの夢をかけたグライダー)

神商18回生 松原 好角

昭和16年12月8日の大東亜戦争の発表を、体育の時間に、竜神ヶ丘の校庭で、校内放送で聞いた記憶が残っております。その後、戦争が各地に拡大されるに及び、私達商業高校にも、陸軍部より現役の将校が配属されてからは在校生全員、毎月1回は、閲兵分列行進(上級生は三八歩兵銃、下級生は背嚢のみ)を行うと共に週2時間は、教練という課目で、歩兵の訓練、木銃による銃剣術等、現在の陸上自衛隊の初歩的集団訓練を、全国的に実施されました。

戦争が激しくなるにつれて、日本国内は、食糧難となりましたが軍部の圧力が強く、学問より若人の体力作りに力が入れられ、全国的に、学生の体力検定(60kgの俵を担いで50mを何秒で走るとか、2,000mを何分何秒以内、上、中、初級等)が設定されたり、各学年毎のクラス対抗の4,000m耐久競争が毎月実施され、校長盾の争奪戦をやったり、シーズン毎に、クラス対抗の野球、水球卓球等、各スポーツ競技をやりました。

私自身はグライダー文部省改一型に搭乗して、空を飛ぶ事にあこがれて、灘商滑空班に、同僚の青島、未信弘(旧姓:奥田)、苅屋田等と共に入部し、部員25名で毎日曜日、阪急航空園(阪急電車西宮北口駅前)で、構文6教官より、訓練を受けました。

当時の竜神ヶ丘の校庭では、グライダーの滑走距離で問題があり、当初より、西宮航空園の格納庫でグライダーの組み立て、分解、点検、滑空、気象学等の講 習、訓練を受け、約1年間(通算、約50日間)で、最高高度18m、30度角のひねり、旋回飛行、滑空距離約500~600mの3級滑空士の免許までの苦 しかった訓練も、学生時代の良き思い出の一つとなって、現在も、空を飛ぶ快感(スリル)という言葉では表現できない楽しい印象が、未だ全身に感ずる思いです。

私達の学生時代は、戦時中で、運動部品も満足に入手し難い時代でしたが、各部ともそれなりに、部活動は活発でした。

神商同窓新聞・昭和48年11月1日 掲載